Tsunami Times
(What’s So Funny ’Bout) Peace, Love and Understanding / (何がそんなにおかしいのか)平和や愛やわかりあうってことが
(What’s So Funny ’Bout) Peace, Love and Understanding、この頃この曲が頭の中をぐるぐる。ブリンズリーシュウォーツという70年代前半のパブロックムーヴメントを代表するバンドの曲。あのニック・ロウのバンドです。コステロのカバーも有名だろうか。
そもそも好きな曲ではあったのだけれど、なぜか最近特に気に入って、ついには歌いたい曲リストにも入れてしまった。というわけで昨日は大阪への行き帰りにヘヴィーローテーション。
「(何がそんなにおかしいのか)平和や愛やわかりあうってことが」というキャッチーなサビはインパクトがあり共感を呼ぶ。最初はメロディやサウンドに魅かれた俺も、意味を考えるにつけさらに感銘を受けた一人。うちのコンセプトコピーがLove Fishing, Music & Peaceだけにその手の言葉には敏感なんですよね。
ところでタイトルの意味と言うと、前々回のTimesのタイトル「Kitahira Nest」はなんのことだかさっぱりという人もいたかもしれない。そりゃそうだ、なんの説明もしていないですから。
Kitahiraは当然当地「北比良」のことなのだけれど、一体「Nest」とは?「Nest」とはつまり鳥や虫の巣だったり棲家のこと。ブラックバスを釣る人にとっては産卵床としてお馴染みの言葉ではある。
キャンプするみたいに暮らしたいっていうのが実は家を探し始めた当初の動機、あるいは目標のひとつだった。その過程においては幾多の変遷があって、いろいろと変更せざるを得ないことや気持ちがうつろうこともありはしたのだけれど、基本的に今もそれは変わらない。
いずれ家となる土地を探し当てた際にはここはほぼ森だった。あれは確か夏だったか、木々は生い茂り、鹿だって猿だって見かけることがあった。実を言うと、少し離れたところではあるものの家族で熊も目撃した。木はいくらか残したかったのだけれど、家の建つ場所の木はミナミ240に手伝ってもらってチェーンソーで切った。そして思ったよりは少々長い月日を経てそこについに家が建った。
森だったこの土地のことを思うと、生き物たちを押し除けてそこに住んでいるという実感がある。都会では味わうことの出来ない気分と言っていいかもしれない。都会にだってかつては森や林があったわけで、同じと言えば同じなんだけれど、実感としてのそれは失われてしまっているから。実際俺だってそうだった。
しかし、たとえ押し除けることになるとしても、我々にだって棲家は必要なわけで、だからそこを棲家とした。それがひょっとすると生きるということなのかもしれないとも思う。そこで頭に浮かんだのが「棲家=Nest」という言葉で、それがここには似つかわしいと、そう考えたのでした。だからKitahira Nest。
お互い認め合って、譲り合って、そこを棲家にするということ、考えてみればそれはつまりPeace, Love and Understandingですよね。「そんなにおかしいことかい?平和や愛やわかり合うってことが」シンプル極まりないけど、なんていいこと言うんだろう、ニック・ロウって人は。
24/02/15