Tsunami Times

  • 西表島

     人は歳を取るものだ。そしてそれなりの深い皺と白くなった頭髪ととびきりの笑顔と叡智を備える。それが至極正しい歳の取り方だと久しぶりに再会したひこさんご夫婦が教えてくれた。随分ご無沙汰だったからいったいどんな風に迎えられるのかと少し気にかけてもいたのだけれど、そんな心配は無用だった。

     島を離れた人がいたり、新しく居着いた人がいたり、建物が増えたり、あるいは世界遺産への登録で少し居心地の悪い部分があったり・・・島にもいろいろ変化はあるけれどその本質は同じ。島だって歳を取る。

     すっかり好々爺のひこさんご夫婦には最初に来た頃から親しくさせていただいていて、来るたびにいろいろとご馳走になったりもする。ご子息のひろしやけいちゃんも今やいい大人なのだけれど、昔の面影を彼らの容姿に見ると、まるで浦島太郎のような気分。

     二十数年前に初めて来た頃と比べたら、少々魚が釣れにくくなった感は否めないにしろ、川にも依然変わりはない。1泊した初日、家族とそれから冬美ちゃんを由布島観光へと促して、俺はガイドのタカシ君とクイナやカンムリワシの姿を拝みつつエントリー場所の白浜へ向かう。あまりに久しぶり過ぎて道中の景色でさえ半ば感動的。

     One Ocean洋一が海の仕事のため、その代打を任された大阪出身のタカシ君は車の修理工が本職ではあるものの、もちろん最近義務となったガイド免許も取得済みのナイスガイ。プライベートでも釣り好き、波乗り好きで、洋一やひろしを慕う彼は俺のことを事前に聞かされていたようで、初対面とは思えず終始リラックスして釣りに集中させていただいた。

     そのタカシ君の薦めで午前中は仲良川の川筋ではなくて河口にある内離や外離なんかの島周りをやる。結果、そこでバイトをいくつかもらって、数年ぶりのマングローブジャックをキャッチした。

     ルアーは海で使おうと思ってスプリットリングを介してフックをごっついトレブル仕様にしたSweepy J DP。重いトレブルを装着すると、ゆっくりやれば純粋なサーフェイスでも使えるのだけれど、これを早めにアクションさせればサブサーフェイスを泳ぐ。これがちょうど良い感じに作用する、と思う。川にも持って行ってみればという洋一の薦めにのっかって正解ではあった。マングローブだらけの上流ではトレブル、しかもスプリットリング仕様を使う気にはなれないが、河口部の例えば岩盤とかなら逆にスナッグレスなWフック仕様の意味もあまりない。 

     それにしてもこの魚は嬉しかった。決して大きくはなかったけれど、なにしろおそらく7年近くはこいつの姿を見ていなかったわけだからそれも当然。ちなみにSweepy JGも試したし、その他いろいろ実績のあるプラグも使うもののそれらにはバイトなく、バイトがあったのは結局画像のSweepy J DP[VS-BM]のみ。これがこの日唯一の魚になった。 

     午後からはいざ川の中へ。ジャングルに抱かれたこの地に独特の汽水域の空気に包まれたら、やっぱり気分が違う。時折小雨が降って少し肌寒い4月初旬のマングローブの川は心底俺を癒したのだった。

     この日しか川を一日中やる日はなく、その癒しを溜め込むだけ溜め込んでマングローブの川を後にする。

     以前の川の釣りなら、誰かお客さんがいて二番手のシートでやるとか、あるいは繋がれた後ろのカヌーでやるとか、そういうことが多く、ガイドと1対1で1日やるなんてことは考えてみればもう随分昔のことで、これはこれで贅沢ではある。その昔は洋一と二人でよく行ったものだし、今は内地の高校に通うやつの息子イチと3人で行ったりもした。それがとても懐かしいことのように思える。

     翌日は洋一の船で家族と冬美ちゃんの全員で海へ。この日は風は強いものの、前日とは打って変わって晴天。青という青の中でも最も青い青を集めた西表の海は繰り出すだけで気分良く、みんながみんな終始ご機嫌だった。

     洋一のサポートで息子が初めて釣った海の魚はクマドリ。その後もちょいちょい竿を曲げた息子は結局6本もの魚をキャッチ。西表の海と言えどそう簡単ではないのでこれはなかなか優秀。ちなみにうち3本は夜の食卓に。

     俺はと言うと、川に続いてSweepy J DPとSweepy JGを試したくてほとんどこれで通す。ほんとうはNiva Saltだって最低1日くらいは投げていたかったのだけれど、海に行く日がこの日だけとあっては時間が短か過ぎた。Sweepy J DPもSweepy JGも少々問題点がなくはないけれど、うまくやれば海でも使えることを確信する。新しいアイデアも西表の海に授かってしまった。

     唯一の俺の釣果はご覧のように息子のより小型のアメリカ(柄がアメリカの国旗みたいなのでそう呼ばれる)だった。それについては少々悔しいけれどいたしかたなし。それよりも六十の誕生日を家族と友人たちとこの海で過ごせたことが何より幸せ。それはこの上ない贅沢である。

     ひとつ残念だった、と言おうか、注意を怠ってしまったのはライジャケのこと。普段は習慣化しているのにまるで気づくことさえなかった。大人はまだしも、せめて子供には装着させるべきだった。投稿をいただくユーザーがこれを付けていないと日頃は注意さえしたりもしている、啓蒙すべき立場としてはまるでなっていない。これについては反省しきり。

     この日の昼ご飯は鳩間島にて。ここに上陸するなんていったいいつ以来?この小さな小さな島にも生活があることを最初は驚嘆したものだけれど、それが相変わらずそこにあることがなんだか嬉しかった。以前来た時にもましてそれは美しく見えた。

     夜は恐がる息子をなだめて、日本最少のホタル=ヤエヤマホタルを観賞に出かける。俺自身見るのは二度目。夜を待つうちポツポツと光り始め、気づくと幻想的な光に包まれるそれはなかなか感動的な風物詩だ。

     翌日はRootsひろしのガイドで、これまた全員でサンガラの滝へとサップ&トレッキング。ひろしの息子のみなとも一緒。サップを怖がっていた冬美ちゃんも、トレッキングの体力に自信のなかった嫁も、未知のことばかりの息子も彼らのサポートのおかげで緊張がほぐれて次々と難関をクリアした。春から中学生のみなとのサポートのおかげでツアーがより面白いものになったのも確か。

     結果、誰もが「行って良かった」と思ってくれたことに安堵する。

     以前なら時間がもったいなくて釣り以外に興味が湧かなかった俺はと言うと、実は案外楽しんだ。サンガラの滝のある西田川は最初にカヤックを借りて釣りに出かけた場所で懐かしさもある。7月の暑さの最中、結構な距離の干潟をカヤックを担いで歩かされて辟易としたのはここだった。パシフィックターポンを釣って見たこともないキラキラした魚に驚愕したし、一緒に乗っていた友人は餌でガサミ(カニ)を釣って大騒動にもなった。ちなみにそれが西表で食べた最初のガサミ。その時は料理の仕方もあったのか、その味はさほど感動的でもなかった覚えがある。

     西田川にはこうして思い出もあるが、その上流の滝は実は初めて。この島には滝がいくつもあって、釣りの最中にお目見えする滝をいくつか拝んだことはあるものの、それを目当てに行ったのは浦内の観光船を経由するマリユドゥとカンピレーのみ。それにしてもどの滝も妙に神秘的で、例えばカンピレーが「神の座」または「神々の交際」を意味するのもうなづける。

     道中では息子に見せたかったキノボリトカゲも見ることが出来た。俺自身もこれに出会ったのは十年以上も昔のこと。

     途中にはガジュマルや板根の見事なヒルギ、シーカーサー、花にはまだ早いサガリバナなんかもあって、木々のトンネルをくぐるジャングルツアーはありていに言って野趣満点である。

     ひろしのRootsのツアーはエントリーが干潟ではなくて川の途中なので楽だし、サップの距離も程よく、トレッキングの距離も女性や子ども向き。六十のおやじにも楽勝である。

     ただし昼過ぎに戻ってみたらもうクタクタ。星砂亭で美味しいランチ(牛汁定食が絶品)を食った後は全員昼寝モードだった。

     夜は夜で永井(洋一)家テラスでOne Oceanのお客さん一家や、隣のダイビングガイド=Good Dive井腰夫婦、それからひろし&みなと親子とBBQ。西表牛はもちろん、西表で採れるモズク、アカジンにガサミ・・・サイドディッシュがあまりに豪勢なのである。

     ガサミは身自体に濃厚な味がある。ガサミというと昔洋一と川に行った際に見つけた良型のガサミを、大騒ぎして採ったことも懐かしい。その頃はまだ採り方のわかっていない洋一があたふたするのを大笑いで見物して、オールでやつがおさえつけたそれを、いざ掴んでと言われて大いにビビってしまった俺を洋一が大笑いした。あの時のガサミの味は実に感動的だった。

     そう言えば、例によってひこさんにいただいたひこさん自身が採ったカマイ(リュウキュウイノシシ)もやっぱり美味かったなあ。生で食べる肉は独特の旨味に誰もが感嘆するし、ゆがいておいたものを炒めて食べた皮もプルンプルン。島は食材の宝庫だ。

     最終日の朝はたかし君と再び川。半日だけなので島では最も大きな近場の浦内川の河口へエントリー。昔に比べると難しくなってしまったこの川とは言え、初めて来た当初から慣れ親しんだ川だけに、ここへ入ることにはいささかの不満もなし。郷愁さえ感じつつロッドを振る。

     それにしてもこの日は爆風と言ってもいいほどの強風。操船してもらわなければまるで釣りにならなかったはず。それでも初日とは違って魚っ気があったこの日、小さな魚のチェイスは無数にあった。ただし、チェイスのみで一向に煮え切らない反応がだらだらと続く。河口から支流に入ったところの個人的に昔から実績のある流れのあるポイントで、思いつきで取り出したNiva DPにアタックしてくれたのは、川にしては良型の画像のバラクーダ。この日のキャッチもこれ1本のみ。

     奇しくも三日あった釣りのどれもがたった1本づつとは寂しいには違いない。悔しさもあれば、残念でもある。しかし、だからと言って不思議と不満らしい不満はない。それが歳を取ったということなのか。それとも西表という島のみが持つデトックス、あるいはカタルシス効果か。おそらくはたぶんその両方かな。まったく神がかった島ではある。

     帰阪のその日、飛行機まで時間があったので、少し早めに石垣へと渡り、友人のオニちゃんだとか、西表の知り合いだとか、有名どころでは吾妻光良だとか、内田勘太郎も出演する、昔からの知り合いがオーナーとなったライブハウス=Bbを訪ねる。自身もサックス吹きの金岡さんその人は、実はかつて中島らも&マザーズボーイズの映像を担当していた人。それが縁でメキシコへ同行してもらって映像制作をしてもらったこともある。その人が石垣でライブハウスを営んでいるなんて、これもまた八重山の島の求心力には違いない。

     俺にとっては最初にあまりに心酔してしまったのが西表だったから、どうしてもその道すがらとなってしまった石垣なのだけれど、それでも港周辺のあのエスニックな雑多さには心魅かれないではない。そんな街並みの一角にあるそのライブハウスは、古き良き趣をたたえる。金岡さんがそのフォームにこだわるのもうなづける。細長い作りがなんだかその昔大阪は梅田にあったバーボンハウスさえも彷彿とさせた。ステージに向かって右側に長いカウンターがあるのもバーボンハウスと同じ。

     数多のライブハウスとの違いはその雑多な街に面してテラスがあること。かなりやれてしまっているそのテラスだけれど、亜熱帯の植物が一角にあったり、剥き出しの板テーブルで過ごせるスペースもあったりと、なかなか素敵。

     ここでライブなんて出来るのなら幸せに違いない。

     旧交を温めた後、空港へ。そう言えば、空港も新しくなって久しい。港もそうだ。昔は空港から「離島桟橋」とタクシーに告げたものだけれど、今じゃ「離島ターミナル」とその名を変えた。商店街だっていつの間にか「ユーグレナモール」だ。変われば変わるもの。それでもやっぱりその本質は同じだと思いたい。

     六十を迎えた今、改めていつまでも色褪せない八重山で、そして西表であって欲しいと切に願う。きっとまた行こう。

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