Tsunami Times

  • 入院十日目

     入院十日目、随分良くなりました。血液検査では未だイレギュラーな数字をキープしている項目もあるのだけれど、入院当初に比べたらかなり元に戻りつつあるみたい。そんなわけで遂に点滴が外れた。抗生剤は今後飲み薬に取って代わる。担当医からはうまくいけば来週末退院とのこと。残念ながら当初の予定よりは日程が若干押してしまっているのだけれど。

     それにしてもどこへ行くにも24時間ついてまわるあの点滴タワー(とは多分言わないだろうけれど、ベッドから見上げる度にそれはそう見えた)が外れたのは、なんだか自由を得た囚人のような心境。昼夜問わずちょいちょい警告音を発して、その度に看護師さんを呼ばねばならなかったからそれにも辟易としていたところ。なんと清々しい。おかげで昨夜は入院して初めてよく眠れた。それに今朝は遂にシャワーを浴びることもできた。

     ただし、今日からはかなり回復して点滴タワーも外れたところにちょうど大部屋に空きが出たので個室を後にすることにする。個室がいいには決まっているが致し方なし。贅沢なんて言ってられないとはわかっていても、病気っていろんな意味で残酷。

     さて、入院中で時間があるにもかかわらず前回のブログから間が少し空いてしまったのにはわけがある。どうしても鮎川さんのことに触れないわけにはいかないような気がして気が重かった。そう、鮎川誠が逝ってしまった。俺にとっての青天の霹靂が続く。

     らもさんの追悼ライブにシーナさんと現れた鮎川さんのその存在感たるやすごかった。あの日猛獣部屋と呼ばれた楽屋にいた並み居る師匠級ミュージシャンの中でもそれは群を抜いていた。それはステージはもちろんライブ会場の空気を一瞬にして変えた。(ちなみにらもさんのそれもかなりのモノだったのだけれど)リハーサルでは、あのレスポールから出たカールコードをマーシャルに突っ込んで、掌を一直線に左から右へ水平に動かしてボリュームからトーンまでフルテンにしたと思ったら、まるで怪物の咆哮のような音を鳴らした。掻き鳴らすレスポールが火を吹いているのかと思うほどのその音圧に俺を含むマザーズボーイズの連中は嬉しくてみんな泣きそうなくらい笑ってた。その日のレモンティーとAll Day and All of the Nightは恐ろしいくらいに最高だった。
     
     鮎川さんとシーナさんと同じステージに立てたなんてことは俺の一生の宝ものです。その時の写真は残念ながら一枚も手元になくて、上の画像はその10年後に開かれた中島らも没後10年イベント(その時シーナさんは体調不良で欠席)の時のものなのだけれど、この時の打ち上げでは、「タッチがいいよね」なんて褒められた。そのことは死ぬまで自慢し続けます。
     
     本当に本当にありがとうございました。

     話変わって、関西釣り業界の一大イベントであるフィシングショーはどうやら開催されているよう。Tsunami Lureのブースも小ぢんまりとではあるものの、レスイズモア高橋が設営してくれた模様。感謝します。と言うわけで明日と明後日は一般公開日、元木は不在ですが時間のある方はぜひ行ってみて下さい。そして高橋さんがそこにおりましたら勇気をもって「Tsunami Luresのステッカー下さい」と言ってみて下さい。それが合言葉。干支ステッカーとペンコステッカー差し上げます。

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