Tsunami Times

  • Jon Boat

     台風が近くなっていて、全国的に少々緊張気味。関西からすると進路が若干東寄りなので、去年のようなことにはならないと思うけど、それでも油断は禁物だ。どこにあっても被害が大きくならないことを祈るのみ。

     一昨日は当然だけれど、カートップしてあったジョンボートを降ろした。それから念のため事務所の裏にロープで縛る。

     そうそう、危険といえば、淀川を始め川でカヤックやボートで釣りをする際には十分気をつけて。岩や流木が隠れていたりもするし、浅いのか深いのかさえ分からない場合だってある。流れが早いととっさの判断を誤ることもある。先日は友人が、淀川で速度を落とさず航行していて座礁するボートを目撃したのだそう。座礁だけならまだいいが、流れが早ければ浸水してあえなく沈ということもありえる。この頃の淀川は水位が低く、こうした座礁、あるいは見えない障害物にひっかかってしまう危険があるのだ。増水時はもちろん、実は減水時も危険が潜んでいる。何度通っていても危険な目にあうことはあるので、初めての川なんかでは特に注意が必要。

     かく言う元木もジョンボートでエンジンを使う際には特に緊張しつつ操船する。何度か危ない目にあっているということもあるし、目の前で転覆するのを見たこともあるから。それでも不意にスクリューや船底をこすったりすることはあるし、ちょっとした判断を誤ることもある。

     と、注意しなければいけないことも当然あるけれど、元木はジョンボートで釣りをすることが基本的に好きである。特にこだわっていると言うよりは、性に合っていると言った方がいいのだと思う。カナディアンカヌーという選択肢もいいのだけれど、琵琶湖や川にはこっちが向いている。

    Jon Boat

    ジョンボートは、アルミ、ファイバーグラス、または木材で出来た平底のボートで、1〜3つのベンチシートがあり、釣りや狩猟に適している。 ジョンボートの船体はほぼ平らであるため、V船体のように波を切るのではなく、波の上を乗り越える傾向がある。 

    とWikipedia(英語版)にはある。そうジョンボートとは平底のボート。好みの問題ではあるけれど、V型の底のいわゆるVハルではなくて平底のジョンボートがいい。平底という構造上、フロントが角張っていたりして、その見た目が非常によろしい。平底というせいで浅いところもものともせず乗り入れられるから、シャローで展開することの多いサーフェイスゲームにも適している。さらに二人で釣りが出来るというのもいい。タックルも多く載せられる。ルアーの数を制限されることもない。バスボートほど大掛かりでなく、それよりはかなり手軽でもある。

     ネガティブな面もいくらか。バスボートよりマシだとは言え、カヤックやフローター、それからゴムボートなんかに比べると多くのプレッシャーを魚に与えることはほとんど間違いない。それらより機動力はあっても同じ場所に限れば釣果で劣ることはこれまでに何度か経験した。だからスタンスを遠めにとる、あるいは極力エレキのモーターを弱めにする、あるいはなるべくは切って、さらに急に回さないようにするなどの工夫は必要だ。

     それにしても、とにかく要するに元木はこのジョンボートでの釣りを愛してやまない。カヤックもフローターもバスボートも悪くない。悪くないけれど、やっぱりジョンボートで、そして粋にやりたいというのが長く釣りをしてきた今のところの結論。(カナディアンカヌーも捨てがたく、所有しているナバロを手放す気はさらさらないけれど。ちなみにカヤックも所有しています。)

     余談ですが、メキシコに行ってもこの平底のアルミボートが落ち着く。他のロッジはバスボートもあるのになぜかアングラーズインだけは相変わらずアルミの平底かファイバーグラスの漁船タイプの船で、それは実は俺には好都合なのだ。もちろん漁船タイプではなくて平底を指定する。それに乗っている方がなぜか気分がいい。50馬力だから、俺の9.8馬力とは大きさはまるで違うのだけれど。(ああ、メキシコ行きたい!)

     残念なのはこのジョンボートスタイルが最近とんと少なくなっているということ。カートップしているのを目撃することも激減した。カヤックという選択肢が増えたのはいいことだけれど、少し寂しくはある今日この頃。

    Bright Size Life / Pat Methany

     さて、どういうわけか今日はパット・メセニーを聴く気になった。というわけで1stアルバム。

     パット・メセニーは気にはなるものの聴いてはまた遠のいてしまう、それは性に合わないということにもなるのだろうか。いやいや、おそらくは彼の音楽にこっちが追いついていないだけ。だからこそこうしてまた聴く気になる。憧れとはまた違う永遠に追いつけない存在感のようなものがそこにはあるような気がしてしょうがない。

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