Tsunami Times
サウダージ
訳あってお盆過ぎに一人帰郷する。いつもいつも故郷が近づく道すがら感じるのはサウダージだ。なんとも言いようのないこの気持ちは、そう、ポルトガル語あるいはスペイン語のこの「サウダージ」(郷愁、憧憬、思慕、切なさ、などの意味合いを持つ)という言葉がどうやらしっくり来る。
そう言えば、夕べ家族で観た「リメンバー・ミー」という映画は泣いた。メキシコの死者の日にまつわる、音楽を禁じられた一家にあってミュージシャンを目指す少年を主人公とするこのディズニー映画は、観てからわかったけれどお盆にはうってつけ。観よう観ようと思っていてようやく観たこのアニメーション、前評判に違わぬ作品ではある。俺のメキシコびいきを差し引いたとしても。ただ、3歳の息子にはちょっと早すぎたようだけど。
それに昨日観に行った春日丘カルピス(?!)というバンドのライブも少し尾を引いてはいる。おおよそ30年ぶりのライブだったそのバンドは、茨木の高校(春日丘高校)の同級生で結成されたバンド。元木より3歳ほど年下のその春日丘カルピスは、まさに元木が音楽のことしか考えていなかったその同時代にバンド活動していた特に仲の良い連中だった。
最盛期の彼らはワンマンをやれば300人ほどを集めていて、うちのバンドとは雲泥の差だったのだけれど、それでもよく対バンしたし、一緒に演りもしたし、よく語らった。一部は後にジャンボウ・マンボウというバンドとして一緒にやることにもなる。一部は太陽の塔というバンドとしてメジャーデヴューもした。
実は俺の当時のバンド=天王寺フラワーズ(春日丘カルピスといい、ネーミングセンスがいなた過ぎるね)もそのライブに誘われたのだけれど、メンバーとはまるで連絡を取り合っていなくてそれは鼻から断念した。動員には貢献出来る見込みもないし。しかしともかく、それぞれ俺と同じく大なり小なり今も音楽に関わってはいるその彼らの一夜限りの再結成(?!)ライブには行かないわけにはいかなかった。
彼ら自身動員を心配していたそうなのだけれど、蓋を開けてみれば、会場となった土曜日の昼間の梅田バナナホール(元あった場所から少し移動はしたが、元木にとってもここはいろいろと思い出のあるライブハウスだ)には、おおよそ150人ほどは入っていたという。五十を過ぎたおっさんたちの、メジャーデヴューさえしていないアマチュアバンドの再結成ライブとしては、これはもう大したものだというほかはない。オープニングアクトの「おっとっと」(これまたいなた過ぎのネーミング。メインボーカルだった俳優 橋本さとし君が、この日は来ないはずがサプライズ乱入)だって同じくデヴューはしていないし。
率直に言って、このライブはとても良かった。やつらのことを当時俺は素直にいいバンド(語弊はあるかもしれないが、「いい音楽」というのとは少し違っていて、それは紛れもなく「いいバンド」なのである。バンドとはある種そういうものだ)だと思っていたのだけれど、それがありありと甦って、ついでに自分自身の当時もありありと甦った。知らず知らず笑みがこぼれたし、少しだけ泣けた。あの頃、それぞれはそれぞれの問題を抱えていて、でも、それがバンドとして塊で発散されると、なんだかとても溌剌として生き生きとした音になった。それが俺は羨ましかった。
そう、それは憧憬と言ってもいいのかもしれないし、今となってはそれもサウダージ。
そんなこともあったからか、がらんとした実家がやたらとうら寂しい。かつてあった笑顔や声が未だそこには張り付いてはいるものの、魔物のような寂寥も鬱蒼とはびこりつつある。今は施設にいるお袋だって、そりゃ鬱にもなろうというものだ。それを身に染みて知る。どうにもできない自分がもどかしいほど。
そんな暑い暑い少し遅いお盆。明日は用事を済ます前に親父の墓参りにも行こう。
さて今日もまたまたやって来たDjango P DBの釣果は、またしてもデンさんから。絶好調のデンさんもヤバいけど、ますますヤバいね、このプラグ。間違いなく必須です。
このところ車で大音量でかけて歌っているのは、ニール・ヤング師匠のいつか紹介したOhioとCinnamon Girl。昨日のライブの行き帰りと、今日の帰郷の道すがらももちろん。そうそう、奇しくもCinnamon Girlは売れないバンドのことを歌ったようにも解釈出来る、そういう曲。
いやね、ニール・ヤングとクレイジーホースというバンドが一緒に演ると、これはもう神がかるのですよ。彼らはへたうまなんて言われているけれど、このへたうまって言われること自体すでにマジックだと思うし。Cinnamon Girlと言えばその代表曲で、実はいつか俺もこれを歌ってみたいと思っていた。ジャンボリーで演れるかなあ。
19/08/18