Tsunami Times

  • アメリカン・ユートピア

     デヴィッド・バーンは言った「人は繋がりを失っていく」と。それは幼い頃に脳が持っていたニューロンのネットワークを、人は成長することによってどんどん失うということ。でも、それだけではなくて他者との見えないネットワーク、人間あるいは生き物としての繋がり自体をも指すのではと感じる。彼が言いたいのは人との繋がりではなくて、繋がりとしての人ではなかったか。

     いろいろ余裕がなくて、満を持して「アメリカン・ユートピア」を劇場鑑賞したのは火曜日の朝一番。コロナ禍でこの頃ほとんどご無沙汰の梅田の朝が妙に新鮮だった。それにしても朝の9時40分から一回だけの上映ってね、そんなのも初めてだったのだけれど、もうすぐそれも終わるとあっては文句を言ってる暇もない。

     周囲の前評判が良過ぎて、いざ観ると肩透かしなんてことも危惧したけれど、そんな心配をよそに映画は予想を遥かに上回っていた。虚飾を廃しシンプルに徹したパフォーマンスは逆に観るものの想像を掻き立て、うねりまくるビートは劇場を覆い尽くして圧巻。気づけば体が揺れる。終盤、Road To Nowhereがきたところでは溢れる涙を抑えきれなかった。ま、この曲が中でも好きだということはあるかもしれないが、それはなんだか大切なことに改めて気づかされた、そういう涙だったということにしたい。久しぶりに本気で泣いた。

     その前に観た「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」も、約3回ほど目頭を抑えるほど感動的だった。考えてみれば、タイトルにある通り、こちらも奇しくもテーマは「繋がり」ではある。こちらは寝静まった息子の隣でヘッドフォンを被りつつ残念ながらamazonプライムビデオで鑑賞。劇場で観るべきでした。後悔先に立たず。

     導かれるようにその繋がりは一点に集積し、やがて輝き初める。それが終焉する寸前、最後っぺと言うにはあまりに珠玉の輝きを放った。それがラストワルツ。リアルタイムではなかったものの、これがかつての元木に大きな衝撃を与えた。

     こうして崩壊した繋がりはこの映画によって最後の最後にまた繋がったように見えた。崩壊したのは見せかけで、忘れ去られた古いニューロンは、実は記憶の奥底で屋根裏の蜘蛛の巣みたいにしっかりネットワークの網を張りっぱなしだったのかもしれない。だって兄弟はどうしようもなく兄弟だから。おそらくこれからも。

     対してバーンが凄いのは、映画においてかつての彼のバンド=トーキング・ヘッズを振り返るのではなくて、それが現在進行形のパフォーマンスであること。トーキング・ヘッズ時代の曲の再演はあるものの、それは見事に現代にマッチしていて、むしろ生き生きと響いていた。それはいつもいつも斬新なパフォーマンスを時代に提供してきたバーンならではで、それも遂に結晶したのではないかとも思える。

     自転車に乗ってバンドのメンバーとニューヨークを颯爽と駆け抜ける、バーンの表情には達成感が刻まれていた。少しだけ老いた彼だけれど、しかしまだまだこの先があると思える、そんな野心ある表情にも見えて逞しかった。いやあ、かっこいい。

     さて、Fishbone Rod Handleがいよいよ出荷です。第二次ご予約分もチャッカーベースのは同時に出荷出来そうです。アイスポットベースのはリールシートのプレートがまだなので少々お待ちを。来週には出荷の見込み。

     買っていただいた方には、上の画像のチャーム(オーナメント?キーホルダー?)を進呈。これはその昔のバンド時代の友人に作ってもらったもの。とあるバンドのベース弾きとしてデビューした彼だったのだけれど、今やローリーやなんかにも作品を提供してしまうレーザーアーティストなんです。人生わからんもんですね、と言うと、彼にもその言葉そのまんま返しますと言われること必至。

     今月のコーヒーは本日締め切り。なんだか今月はご予約が少ないのです。尻すぼみで企画終了なんてことにならないよう、どうか皆さんふるってご予約下さい。

     そのジューシーさに驚く人続出の「朝まずめ」はそのままに、今回から「夕まずめ」はコロンビアベースの深煎りとなります。ジャムのように、はたまたチョコのように濃密で、かつ優しい味わいであることを保証します。

     それから「朝まずめ」「夕まずめ」ともに夏限定のコールドブリュー=水出しパックもあり。水に入れて冷蔵庫で一晩寝かせれば、ご家庭でお店クラスの冷コーが作れてしまうのは目から鱗です。夏でもホット派の元木を唸らせた冷コーをどうぞ。あっ、温めてホットにしてもいけるそうです。

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