Tsunami Times
ライブとチェーンソーとキリン
今日は流石に寒い。一昨年の暮れにこっち(北比良)に来てからというもの、知人友人からの冬の挨拶は「寒いんでしょ?」とか、「雪積もってます?」とか、おおよそはそれ。個人的な感覚としては、大阪に毛が生えたくらいの冬の厳しさでしかない。うちの実家(四国の山間)なんかだと寒さはそう変わらない。ま、こっちにも冬の厳しさをかえって自慢してみたいというところはなきにしもあらずなんだけれど、それにも増して都会からすると、喧騒からエスケープしたのなら、どうか厳しくあって欲しいという期待値を感じずにはいられない今日この頃。
それにしても流石に今日は冷える、とは言うものの、先日行った際の大阪もかなり寒かったし、おそらくこれは全国的なものなんではないかと思うけど。今日の夜あたりからは雪予報だし、いよいよ積もりそうな雲行きだ。明日の磔磔のT字路sのライブを楽しみにしているんだけれど、こりゃどうも京都まで行くのが難しいなんてことにもなりかねない。
ライブと言うと、今更ながら先日のライブはとても楽しかった。存分に演らせてもらったのはいいのだけれど、嬉し過ぎてちょっと張り切り過ぎた感もなきにしもあらず。なにしろTsunami Jamboree以外で演奏するのは久しぶりだったし、Tsunami Jamboree以外で全編に渡って歌うライブは初体験だったのだから。
Tsunami Jamboreeの野外ってのももちろんいいには違いないんだけれど、箱で演るあの感覚はやっぱり特別だった。リハーサルをすべく暗がりのバーに入ると、初めての場所にもかかわらず、そのきな臭さに懐かしさを覚える。夜8時、閉ざされた濃密なあの空気とスポットライトの熱の中、照明に仄かに浮かぶお客の顔と対峙すると、なんだか帰って来たという錯覚にさえ囚われてしまった。いいもんですね、あれは。
久しぶりに観たイベントの主のKoronamuzikも良かったね。相変わらず自由奔放かつ天衣無縫な空気を醸し出してた。あれは間違いなく才能です。りょうちゃんの息子のシオンとその友達のリトルの年齢に似合わないオールドスクールなDJも良かった。
TULALAのオガケンが来てくれたのは嬉しいサプライズだった。その昔、俺のライブに現れたのはいったいいつのことだったか。長い付き合いですが、未だに読めない不思議な男ではある。
他にもRottonシゲや、紀州の闘犬(やったっけ?)モリモト君や、もう三十数年来の音楽仲間モッチーや、かつてGianbow Manbowってバンドで一緒にメジャーを目指したカタヤマ(現スワップバザー)なんかも来てくれたのもとても嬉しかった。それからバンドのメンツの家族とか友達だとか、そういう身内にも感謝。いったい誰が来てくれるんだろうってちょっと心配してましたから。
もちろんうちのバンドのナカシマにウラヤマ、それからコロナに罹って来れなかったキシにも感謝します。思えば彼らは、俺のステージネームの由来にもなっている、その昔俺が雇われ店長をしていた吹田のスタジオ・アンツで知り合った男たち。なんの因果か三十数年を経て、またも俺に付き合うことになった。俺とは腐れ縁なんですが、実は最近に至るまで俺以外とはお互い面識がなかったっていうのも面白いものではある。
いやあ、終わった途端にまた演りたくなってしまっている俺だ。遅咲きのシンガー、そしてソングライターにとってはこれからだ。でも、シゲ曰く、終活だと。まあ、それはそれでいい。
先週末は、ご近所のこれまた音楽関係で古くから付き合いのある、工藤家の庭の枯れつつあるくぬぎを、プロの木こり、ミナミ240ことミナミ君に頼んで伐採してもらう。俺はそのくぬぎを薪としていただくべく、これを手伝う。
流石の手際で太いのをばっさりやったら、午後からは細いのも数本。玉切りにした薪は、ミナミ君の旧型ハイラックスでうちまでピストン輸送。丸一日かからずにミッションコンプリートなんである。あっさり終わったなと思っていたら、案外疲れていたし、実を言うと次の日とその次の日くらいはあちこち筋肉痛でした。
それにしてもハイラックスとはこういう時にめちゃくちゃ重宝する。旧型の方がトラックらしくていいね。
夜は焼肉バンバンにてみんなで打ち上げ。そこでばったり二十年来の知人に会うと言うおまけつき。Teatノリチカとその人=オーニーと琵琶湖で釣りをしたのはずいぶん昔のことで、いったいいつだったかも思い出せない。SNSを通じて繋がってはいて、お互い意識してはいたものの、いやはや驚いた。今年は彼のバスボートに載せてもらおうかな。
そう言えば、次の日のランチに息子とオベルトンにカレーを食べに行ったら、カウンターで隣に陣取ったカップルの男性が、これまた二十年も三十年も前に友人を通じて紹介された知人ミュージシャン=トタカ氏だったという奇遇。彼は現在Hiundred Birds Orchestraという大所帯のバンドでヴィブラホーンを演奏しているのだそう。全然知らなかったので、調べてみたらなかなかたいそうなバンドなんである、これが。彼は任天堂のゲームに音楽を提供していたりもします。
そうそう、話は戻って、ミナミ君の所業を工藤家のえっちゃんがFacebookに上げたところ、工藤家の近所から伐採の依頼が舞い込んだ。助手としてこれにも参戦して、またも薪をいただかなくてはと思っているところ。
それはそうと、本業について。Kirin SDの製作も佳境なんである。
これまで2003年(画像上)と2011年(画像下)にリリースしたKirinは、今年Kirin SDとなってリリースする。原点に帰る、切削加工を極力排した、シンプル過ぎる2次元(断面が全て真円)ボディと言う潔さは、今時かえって新鮮かもしれないですね。ボディの長さはキープしたまま、さらに細身にシェイプアップし、ウェイトを増して喫水を深く、そして元々の直進性をさらに高めました。真っ直ぐが身上のKirin SDです。
カラーパターンを決めるにあたっては、今回は意外と苦労しました。いつものCF-MGにBH、SKLあたりはいつもの通りと言えばそうなのだけれど、二次元ということと異様に細長いことが、テンプレートを作ることを実はちょっと難しくするのです。
Kirinシリーズに二度ほど(?)登場したKirinというパターンは、何パターンか塗った挙句に配色も斬新な画像のパターンに決まり。ダメ元で塗ってみたのが採用ってことはよくあります。
CV(カラベラ)はテンプレートを切り抜く部分がやたらと多く、しかも複雑で、いつものごとく投げ出したい気分にかられながらなんとかやり通す。くり抜いた後で塗ってみたらずれていたなんてことはいつものことで、今回はやたらと修正に時間を要した。配色も若干変更。
通称グリグリことグリッターには今回は干支の蛇を塗ろうと悪戦苦闘。一度切り抜いたパターンはどうにも気に入らず破棄して、再度練り直す。その上で、配色をいくつか試す。で、出来上がったのが今回のパターンです。蛇らしくない一種奇抜なデフォルメといえばそうなのだけれど、それがどうにも蛇であると思っていただけるなら成功。
あとは摂津ファクトリーのジョニーに任せてこの仕事はひと段落なので、元木は続いてHand Drawnのカラベラに本格的にかかります。新年はいつもここに至るまでが大変。三が日にご注文いただいた皆様には大変お待たせしますが、お待たせついでにいつものようにもう少しお待ちいただけると幸い。
25/02/07