Tsunami Times

  • 藤原

     告白すると、俺はやたらとめんどくさいあいつが大嫌いであり、しかしたぶんそれ以上に好きだった。酔っ払っては酷い素行のあいつを何度かは本気で怒ったこともあるし、腹を立てたことなんて数えきれないくらいある。それでも出会って以来二十数年の付き合いなのだから、こういうのを腐れ縁というに違いない。

     一緒に釣りに行ったことは一度一緒に行ったメキシコ以外記憶にないし、改めてやつと一緒に写真に収まろうと思ったことなんて皆無に等しいから、写真だってそれなりにしかない。

     ただ、どこかでお互い頼りにしていたという気はしないではない。その証拠に俺が腹を立てたと覚ったら、その後なんらかのフォローがある。「飲んでたから」とかの言い訳(は俺は嫌いである)も一切なければ「ごめん」の一言もないけれど、その代わりにやたら馴れ馴れしくなるとか。そういうところ、あいつはずる賢い。ま、それは誰に対しても同じかもしれないが。

     早死にするとは思っていたし、本人ともそんな話をしたことが何度もあった。それでも俺より少し若いあいつを見送るその時が本当に来てしまうと、そりゃもう動揺もするというもの。死んでしまって5日経ったわけだから、少しは落ち着いたけれど、それでも未だにふとした瞬間にやつとの記憶の断片が浮上しては消える。その度涙がこぼれ落ちそうになる。

     亡骸には文字通り魂はなく、自分の中のどこかに巣食うその人の亡霊こそが本当のそいつであると常々思っていたのだけれど、通夜で会ったあいつは不思議とまだ生きているような気がした。それほどやつの死は俺にとって生々しかったということなのか。

     状態が悪いことは知らないではなかった。でも案外しぶとく長らえるんじゃないかとも希望的観測も込めて思っていたから、やっぱりやつの死は俺にとって突然だった。だからその亡骸に会っても、実感が湧くものなのだろうか、そして泣くなんてことが出来るものだろうか、そうも思っていたものの、顔を見た瞬間に涙はとめどなく溢れた。

     同時に通夜ではそんな藤原が、そりゃもう羨ましいくらいに皆に愛されていたことを実感した。いったいどうしてなんでしょうね、あれは。

     ともかく、生来の職人気質で、ナイーブで繊細で情深く酒の力を借りなければ人前に出れなかった男は、その酒がネックで、そしておそらくはそれが命取りになった。皆が思うほど本当は豪傑でもなければ無頼漢でもない。人一倍気を使った分、寿命は短かったのかもしれない。

     そうだとすると俺の場合はもう少しは寿命が与えらているとも思える。

     何年か前、ミュージシャンのいっしゃんこと石田(長生)さんが亡くなった際、その盟友の有山(じゅんじ)さんが弔辞で開口一番こう言った。「石田、呼ぶなよ」その後の言葉は思い出せないくらいその部分があまりに印象的だった。そしてふたりの親密度が窺い知れた。当時藤原にそれを話すと笑っていたことを思い出して、帰り際にもう一度あいつの顔を見て「呼ぶなよ」と言っておいた。俺はもうちょっと生きたいし、どうやら生きなければならないようだし。そして「藤原、またな」とも。

     晩年はしんどい時期の方が多かっただろうから、よく頑張ったと思う。もっと頑張れと言いたいところだけれど、ぐっとこらえて安らかにと言っておこう。とてもとても残念ですが親愛なる藤原雄一の冥福を心より祈ります。

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