Tsunami Times
熊出没だって
お盆で実家に帰省する元木の元に、今年何度目かの熊出没情報がLINEで届く。場所を確認すると、なんとそれはうちの裏手にある森の反対側の住宅近辺、つまりはごく近所。しかも小熊だそう。ご存知のように子連れの母熊ほど怖いものはない。ちなみにうちの近辺での熊の出没はニュースになって騒がれるようなことがない。まあ、それは直接の被害がないということだと思うのだけれど。
それを聞いた息子はまたぞろビビりまくり。そういう情報を耳にするたび、やつは「なあ、とうと?なんで滋賀に引っ越したん?熊恐い」と言う。「それはな、こっちは熊や鹿や猿や狐や狸が棲めるほど綺麗で、それは人にだっていいし、お前にだっていいに決まってるから。とうとだって、おまえが大人になって、おまえに子どもが出来るまで長生き出来るかもしれんからや」とその度答える。
実家でそんな話をしていたら、元木が載っている二十年近く前のムック本が目にとまる。トップ堂の別冊で、西表で取材してもらった時のもの。自分で書いた文章を読み返していると、インディアンの哲学に想いを巡らせたことが書いてある。インディアンは大地を母、大空を父とし、自然を尊び調和して生きる。インディアンは決してこれにすがったり頼ったりするのではなく、ただ感謝し、あるがままにこれを受け入れる。日本でも鎮守の森という思想は、森林やそれに覆われた土地、山岳そのものが信仰の対象だった。西表の自然によって、そんな思想に得心がいったと。
それはまさに我が北比良ネストにも当てはまると今更ながら。北比良には未だ鎮守の森の神様がいる。そう身近に感じさせ、畏怖の念を抱かせる何かがかろうじて残る。かつての俺の西表島は、今や棲家となったここ北比良でもあるようだ。
「熊は正しく怖がること。ちゃんと注意すること。やたらと怖がっててもあかん」。今まで熊と二度ほど、しかも車に乗っていた際にしか遭遇したことのない俺が言うのも説得力はないし、俺だってやっぱり熊は恐いのだけれど。
そうそう、前回車を買い換えようかと思う、なんてことを書いたら、ちょっとした反響があった。乗りたい車に乗ることを諦めるなんて誤解している人もいそうだったから断っておくと、決してそういうことじゃない。あくまで乗りたい車に乗り換えるってこと。当たり前だけれど。
ムック本にはこんなことも書いてあった。「俺がやりたいことはモノを作ること。そしてこの島やメキシコへ、さらには見知らぬ土地に出かけては自分の釣りをすることなのである」と。それは今も変わっていない。それこそはいつまで経っても終わらない夢ということなのかもしれない。
24/08/16