Tsunami Times

  • ロビー・ロバートソンになりたかったのだ。

     ザ・バンドを聴きながら思う、結局のところ俺はロビー・ロバートソンになりたかったのではないかと。

     不世出の天才であるからして、俺なんかがどうやったって太刀打ち出来るわけもなく、俺には才能が圧倒的に足りていないなんてことは言うまでもない。でもね、歌をあまり得意としないとか、煌めきとインパクトはあるにしてもそう上手とは言えないギターだとか、どこかつけ入る隙があるように見えることに親近感が湧く。なれそうで決してなれないあたりが彼の魅力ではある。

     しかし、それは表面的なことにしか過ぎず、彼はザ・バンドという恐ろしく才能に溢れた五人組を実質率いて一世を風靡するどころか、未だにロックンロールに影響を与え続ける。ソングライティングはほとんど彼の手によるし、プロデュースの手腕もあった。影でザ・バンドを牛耳っていたと言ってもいい。その証拠に、彼抜きで再結成したザ・バンドに以前の輝きは見るべくもなかった。そのあたりもまた憧憬に値する。

     そんな風になれたらどんなに良かったか。それもまた叶わぬ夢ではありますね。

     ところで、ザ・バンドはとても好きなバンドではあるにもかかわらず、実は歌詞の意味なんてほとんど知らない。最近歌を歌うようになり、彼らの曲も何曲か歌詞を覚えた際に、その奥深さに唸ったりすることはなきにしもあらずなんだけれど。

     そう、昔は歌詞なんてどうでも良かった。聴けばかっこいいのかそうでないのかの判断がついた。と言おうか、歌詞の意味なんてわからなくても聴くだけでたいそう感動したり、励まされたり、時には泣けたりもして、それはとても不思議な現象なんだけれど、それがつまりはロックンロールなんだと思う。歌うことで歌詞を覚えたり、あるいは歌詞を作ったりすることで、余計にそう思うようになった。もちろん歌詞はおざなりではいけないんだけれども、ロックンロールにとってはそれはひとつの要素でしかない。歌詞偏重に陥ってしまっては、本来の音楽の意味は薄れてしまうような気さえする。

     それにしても歌詞を覚えるって大変だ。この写真に映る、琵琶湖の対岸あたりで9/22に開催されるTsunami Jamboreeでも、元木はザ・バンドを歌うつもりで鋭意練習中。ただ、週末の台風でバンドのリハーサルがとびそうでやきもきしているところ。そうなるとリハーサルは残すところたった一回。これは痛い。

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